熊谷守一 美術館へ ❷ 完| au musée Morikazu Kumagai

「一般的に、ことばというものを正確に伝えることはできません。絵なら、一本の線でも一つの色でも、描いてしまえばそれで決まってしまいます。しかしことばの文章となると、青色はだれが見ても青色です。しかしことばの文章となると、「青」と描いても、どんな感じの青か正確にはわからない。いくらくわしく説明してもだめです。私は、ほんとうは文章というものは信用していません——。 」(熊谷守一『へたも絵のうち』平凡社、2000年初版より引用)

飄々と、しがらみを持たず、つくらない。
そんな生き方を熊谷守一さんの絵から伺い知ることができる。
守一は人々にモリさんと呼ばれていた。美術館の入口に膝を抱えて座るモリさんの像。
美校時代に、くせ者であることから皆から嫌われていた青木繁とも割と仲良くやっていたと自伝で記している。友達を選ばず、誰とでも分け隔てなく付き合う。暮らしぶりは有名になっても変わることなかった。

「朝起きて奥さんと碁を打ち、昼寝して絵を描いて寝る——。」

 

私はフランスの歌手、ジョルジュ・ブラッサンスを敬愛してやまない。

モリさんはまるで日本のブラッサンスのよう。モリさんの作品をみながら、パリの友人で同じく、ブラッサンスの大ファンであるファニーが、ちょうどブラッサンス公園に行った時に教えてくれた小話を思い出す。ブラッサンスは有名になった後も、売れない頃から住んでいた小屋に住み続け、無名時代と変わらぬ暮らしを続けたという。

Les copain d’abord /仲間を一番に」(気になった方はクリック)

 

モリさんの自由な心意気、それが絵としてこの世に残っている。
「絵描きは絵さえ残っていればいい——。」

 

1977年、モリさんの死から8年後、1985年に次女で画家の榧(カヤ)さんが尽力し、
この豊島区千早の自宅跡に熊谷守一美術館は私営開設された。

 

すべての作品を見終え、1階にあるカフェに立ち寄る。
そこにいた30代ぐらいの女性に宮城から来て本当に良かった!その旨をお伝えし、
私はつづけてお話した。

『榧さんによる解説文が面白いですね。いつもちょっとしたユーモアと親子ならではの秘話が盛り込まれていて。特に晩年の自画像の解説が秀逸ですね!『パトロンの依頼で描いた自画像。もう既に作風が線画に移行していたため、あまりうまく描けなかったと本人が言っていた—」なんて、他の美術館ではみられないですね。」と。

 

「そうなんです。榧さんは今もお元気です。2007年に豊島区にこちらにある作品を寄贈して、公営の美術館になりました。おっしゃる通り、私営美術館の雰囲気をそのまま引き継いだ雰囲気で運営しています。豊島区の心の広さで成り立っているところもあるんですよ。」とおっしゃっていました。

 

羨ましい作家人生——。
私も愛娘が山田なつみ私営美術館を設立してくれるように頑張らなくては!

 

日々、起きて、夫と子どもと朝食を食べ、ガーデニングして、昼寝して、写真撮って、好きな料理作って……ってね(笑)!。

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